2013年11月8日金曜日

ボクがテスト用紙だったころ

気がつくとボクは、教室の机の上にいたんだ。カリカリと鉛筆の芯がボクの体を滑る音を聞いた。そして、そのとき初めて見たその子の少し真剣な眼差しにドキドキした。ボクの額の辺りには、さくら台中学校中間テストというタイトルがあって、その下にはには、設問1「次の文章の数式の空白をうめなさい」と続いているけれど、その子は、その子は少ししかめっ面でため息までついて、ボクのせいで悩んでいるようだった。「ボクにもわからないよ」と小声で伝えたけど、聞こえなかったみたいだ。そうボクは、テスト用紙だ。「あっ」というその子の声がして、ボクは初めて、自分の体が宙に浮いていることに気がついた。そのままボクは、開け放つ窓に吸い込まれてしまい、つまり運動場に飛び出してしまった。気まぐれな風は、「ごめん、ごめん」なんて言いながら、ちっとも謝っている様子ではなくて、なにか言い返してろうと思っているうち、ボクの体を巻き上げたのは、別の風で、「どうしたの」なんて逆に聞かれる始末だ。その子の驚いたような、怒ったような顔をボクは、一瞬視界にとらえたけど、自分の力では、教室に戻ることもできなかった。ボクは、一枚の紙切れだったからね。仕方なくボクは、自分でも望んでいない旅に出ることになった。だけど驚いたことに、ただひとつだけ素敵なことが起きたんだ。ボクは、自分で自分を書き換えることができるようになった。多分、学校の先生に、「ルールを守れ」なんて言われずにすむようになったからだと自分では、思う。試しに書いてみた。設問1「ボクは、どこへ行くのですか」、町外れの楠のじい様は、長い間、生まれてからずっと、そこにいるだけなので、「どこかに行く」ことの意味さえわからない。設問2「ボクの大切なものはなんですか」、ひばりの父さんは、生まれたばかりの雛を守るのに忙しいようで、答えてくれない。設問3「ボクは、誰ですか」、小さな雲は、大きな入道雲になり、雷鳴と雨の激しさのなかで「生まれてから一時も同じかたち同じ自分でいたことがない」と嘆いていた。仕方なくボクは、気ままな風たちや楠のじい様、ひばりの父さんや雲たちと話したことを物語にして、自分に書いて行くことにした。他にも星の瞬くわけや落葉の旅や、ボクの心を揺らすお話を書き加えていった。そしてある日、自分と同じように、空を舞うものたちに囲まれていることにボクは、気がついた。例えば、とても強い波に洗われたような子どもの写真、角が少し焼け焦げた手紙、見えないけれど伝えきれなかった「ありがとう」の声、カラフルな像の絵、そういったものが、ひとつひとつの物語が、はじめは降り始めた雨粒のように、しだいに波のような流れになって、しまいには大きな渦になり、ボクは、そのまま渦のなかに引き込まれてしまった。気がつくとボクは、教室の机の上にいるとだと思った。きっと夢でも見たんだろうと思った。だけどボクは、自分の体のなかにたくさんの物語を詰め込んだ、少しだけ重さを増した一冊の本になって、小さな図書館の書棚にいたんだ。もちろんすごく少し驚いた。そしてある日、ボクのページが開かれて、その時、ボクの目の前にあったのは、ボクがよく知っている眼差し、少し大人びた光に満ちたその子の眼差しだった。そして、ボクはやっぱり、ドキドキしたんだ。ボクは聞いてみた。「君はどんな物語が好き」、その子にはボクの声は聞こえないらしい。でも、その代わりとびきりの笑顔で次のページをめくって、ボクの物語を静かに読み続けた。

ダメな息子

母さんから「今日は弁当の要らない日」と言われたのに、ボクは自分で弁当箱にご飯を詰め込んで幼稚園にいった。幼稚園にはあらかじめ注文されたパンがちゃんと届いていた。ランドセルが自分だけが茶色だった。当時、ランドセルは男の子は黒と決まっていたのに恥ずかしかった。あとからその事について聴いたら。ボク自身が茶色にすると言ってきかなかったそうだ。そんなきかん気の子どもだったのにボクはしかられた記憶がない。

一度だけ、夜に社宅を飛び出した。何かで叱られたのかもしれないけど覚えていない。飛び出すと言っても小さなこどものことだ、暗いし、心細いし、裏の土手をウロウロしているだけだった。その時、母さんはこっそりボクを探しに来ていた。

高校を卒業して東京で暮らしたいといったら、反対されなかった。一浪して、一年余分に大学に行き、卒業してしばらく無職でいたのに、そのことでなにか言われたこともない。

母さんは、他人のことを他愛もない話題であげつらうことは多かった。「あそこの店はどうだ」とかね。だけど、ボク自身のことをどうこう言うことはなかったし、それが当たり前のことなんだと思っていた。自分の息子には口うるさい今のボクとは違う人だった。

母さんの病気が助からないところまで来ているということをボクは気がつかなかった。母さん自身も知らなかったし、知らないままで亡くなった。入院し、意識の混濁が始まり、意識がなくなるまで、本当に短い時間に起こったことだ。

最後の十日ほどの時間を病院で寝泊まりしながら、不思議と辛いとか悲しいとも思わなかった。もちろん、病気に気がつかなかった不甲斐なさはいまも心にある。だけど、病院で母さんと過ごした時間は、不思議と楽しかったんだ。「母さん、小さな船がたくさん見えるよ」「母さん、窓に小鳥が来てる」「母さん、今日は雪だ」伝わるはずのない母さんにボクは伝えた。

ボクは、その時、母さんと旅行に来て駅のホームで迎えの列車を待っているような気分だった。母さんと二人きりでこんなにゆっくり旅をするのも初めてだったし、その頃のボクは忙しすぎる仕事にうんざりしていたからね。不謹慎だけど楽しかった。お迎えの列車はなかなか来なかった。医者は毎日のように、「今日が峠です」と言いながら、なかなかその時が来ないので、しまいにはなにも言わなくなった。母さんは、医者まで黙らせた。すごいね。

母さんが最後の息をひきとる時、ボクは食事をとるのに妹に少し時間を代わってもらった。病室を出て、ほんの10分ほどで妹から呼び出しがあった。病室に戻ったら妹は泣き叫んでいた。葬儀は決められた手順で進み、その時も悲しいとか辛いとは感じなかった。ただね、ボクは初めて母さんに叱られたような気がした。肝心な時にそばに居なかったんだからね。ダメな息子だね。

母さん、ボクは母さんにとっていい子でしたか。さみしいです。

まこと

まことは、同じ歳の幼なじみだった。まことは、肌が白く、ブロンドの髪で、茶色の目をしていた。通っていた幼稚園の近く街の外れ、炭鉱から出たボタで埋め立てた窪地に自宅があった。幼稚園には歩いて通ったし、ボクの社宅から幼稚園には歩いて通える距離だったので、まことの家で一緒に遊ぶことが多かった。

母親は働いているのか姿をみかけることは少なかった。父親のことは、どんな人物か知らなかったし、聞いたこともなかった。まことの髪の色に関わりがある人なのだと思うのだけれど、ボクにとっては想像の外にあったし、まことと遊ぶことに必要なことでもなかった。

佐世保まで船で1時間、島の経済はその頃にはすでに斜陽になりつつある炭鉱で支えられていた。ボクの自宅は、同じ設計の長屋が並ぶ炭鉱の社宅だった。まことの家は、そういった企画とは違う民家だったので、炭鉱で糧を得ていたのではないのだろう。ボクは、そんなまことの家を少し羨ましく思っていたような気がする。

ボクたちが生まれる数年前には、朝鮮戦争もいったん休戦状態になっていたけれど、佐世保には、米軍が駐留し、佐世保の街でGIが闊歩することが当たり前の風景であった。彼らの存在がに何かの意味を見いだすには、ボクは、ただのおろかな田舎の子どもだった。

まこととは、そのころ流行っていたGI.ジョーで遊ぶことが多かった。その米兵を模したフィギュアとまことの父親のことを結びつけて考えたこともなかったし、現実にそうだったのかも確認したことはない。ボクにとって、まことの父親のことなど、日常を過ごすことになんの影響も与えることではなかった。まことにとってどうだったのか、今になって考えてみるみるけれど、考えることの意味や答えを捕まえることができるとも思えない。

GI.ジョーで遊びながらも、自動小銃から発射された弾丸が空気を切り裂く音や、手榴弾のウロコ模様が破片となって兵士の肉体を削ぐこと、首から下げた認識票の最後の使われ方も知らない。無邪気な子供の想像力ではつかまえることのできないことだ。

小学校に上がってまことは、一度、姓を変えた。担任からクラスに伝えられたのだと思う。姓が変わった訳は知らない、ボクにはすでに興味のないことだった。そのころにはボクも別の友達と遊ぶことも増えたし、一人で好きな絵を描くことも多くなった。まことと遊ぶ時間は減っていた。

まことが島を離れたときのことを覚えていない。炭鉱では、急に家族が別の生活を求めていなくなることは、ごく当たり前だった。ボク自身がその数年後には、見知らぬ土地で過ごすことになるのだから。

まことがそのあと、どんな人生を過ごしたのかも知らないし、生死も含めて確かめることもできない。苦労したのか、幸せなのか、想像してもなにも見えない。ボクは、いまでも想像力の足りない子どものままだ。

わかっているのは、まことの家で、まことと遊んでいた時間は、とても楽しかった。たとえそれが、兵士に見立てたフィギアで殺しあう遊びであったとしてもだ。遊びの中では、兵士は何度も生き返る。だけど、まことと過ごした時間は、楽しかった記憶として、ボクの心の底に、ぽっかり穴を開けたままだ。その穴は、この先も埋まることがない。

 この空を愛しく思う
緑の恵みを愛しく思う
大地と大気はそんなあなたを大
切に守ってくれる
あなたのために祈ろう
あなたのために笑おう
あなたのためにあることは
私が生きるのと同じ重さだ
愛することは鏡のように自分を照らす

しあわせのシェフ

初めて覚えた野菜の名前は 忘れてしまった
だけど知らない野菜には いつか私の指先が挨拶をする
初めてナイフを使ったとき おどおどした記憶はない
手首のスナップはすでに 刃先の加減とつながっている
レシピを舌先で転がし その日の気分と折り合いをつける
変えないために変えること それがポイント
生きることの方が よほど容易い
誰かを愛することができれば やりなおせるから
ふりむくと 作りかけの鍋
火を止めるタイミングと 秘密の隠し味
ああ しあわせには目に見える形があるらしい
おまけに 臭いと味までついてくる
私がしあわせのシェフになった日から
書きかけのレシピは まだ終わらない

世界の片隅

大統領も戦場の兵士も路上の子どもも
人間ひとりが寝転がっても
せいぜいふかふかのベッドか
夜営のハンモックか
がれきのひとかたまりもあれば足りるだろう
誰もが世界の片隅で たったひとりの自分を生きて居る
親も子も 男も女も
敵も味方も 白も黒も
友達もそうでないやつも
生まれたばかりでも 死の間際でも
たったひとりの自分で生きて居る
たったひとりで居ながら誰かとよりそって居る
ひとりだからよりそって居る
どこかで互いに結ばれて世界はしだいにつながれる
人間の取り分をわきまえて
花には花の 虫には虫の 場所を譲り慎ましく生きよう
自分の都合ばかりを言い立てて
まるで自分だけが世界の真ん中に居るような
そんな声高に叫ぶやつを 私は信じない

感嘆符

ああ、朝だと思う 毎日のことなのに
日差しがまぶしとか雨が息を湿らせるとか
小さな違いがあっても 繰り返される
ああ、驚きと戸惑いが混じった 感嘆符
仕事のちょっとした手順を 違えたり
忘れ物に気がついたり
小さな違いはあっても またかと笑う
ああ、秘密めいた気づき その感嘆符
誰かに伝えることが嬉しかったり
秘密は秘密のままに 暖める
小さな違いはあっても ドキドキする
ああ、喜びや悲しみの 感嘆符
大切なものを守ることが 誇らしくあり
大切なものをなくしてしまうことに 怯え
小さな違いはあっても 体を締め付ける
ああ、今日だと思う
自分が生まれた日大切な誰かが生まれた日
小さな違いはあっても いちばん新鮮な一日なんだ